
潰瘍性大腸炎・クローン病などの炎症性腸疾患(IBD)は、生涯にわたって治療と付き合っていく必要のある慢性の腸疾患です。近年では、生物学的製剤やJAK阻害薬など新しいIBD治療薬が次々と登場し、IBD治療の選択肢は急速に広がっています。従来の飲み薬だけでなく、点滴や皮下注射など投与方法も多様化し、一人ひとりの病状やライフスタイルに合わせた治療を選べる時代になりました。治療の選択肢が増えたことは患者さんにとって大きなメリットである一方、「薬を変更すると言われたけれど、本当にこの治療でいいのだろうか」「点滴と皮下注射、どちらが自分に合っているの?」「仕事や子育てと両立しながら続けられる治療を選びたい」と悩む方も少なくありません。
そこで現在、世界の医療現場で重要視されているのが「SDM(Shared Decision-Making:共同意思決定)」という考え方です。
SDMとは、医師が一方的に治療を決めるのでも、患者さんにすべての判断を委ねるのでもなく、医師と患者さんが医学的根拠と患者さん自身の価値観・ライフスタイルを踏まえながら、一緒に納得できる治療法を選ぶ考え方です。
特に潰瘍性大腸炎やクローン病では、生物学的製剤やJAK阻害薬など治療の選択肢が増えたことで、患者さん一人ひとりに適した治療を選ぶ重要性がこれまで以上に高まっています。そのため、患者さんと医師が十分に話し合いながら治療方針を決めるSDMは、IBD診療において欠かせない考え方となっています。
本記事では、日本と海外で行われた最新の研究データをもとに、IBD患者さんにおけるSDMの現状と課題、そして今後の展望についてわかりやすく解説します。
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- 【現状】多くのIBD患者さんが「治療方針の決定に参加したい」と考えている
- 【課題その1】医師と患者では「治療への期待」が少し違うことも
- 【課題その2】理想と現実の「役割」のズレと「意思決定のジレンマ」
- より良いSDMを実現するための今後の展望
- まとめ
【現状】多くのIBD患者さんが「治療方針の決定に参加したい」と考えている
では実際に、IBD患者さんは治療の意思決定についてどのように考えているのでしょうか。
日本で1,000名以上のIBD患者さん(潰瘍性大腸炎800名、クローン病235名)を対象に行われた大規模なWeb調査によると、過半数(56%)の患者さんが「自分の治療に関する意思決定に、医師から参加させてもらうこと」を「非常に重要」だと考えていることが明らかになりました 1)。
同様に、中国のIBD患者さん274名を対象とした調査でも、約8割の患者さんが「自分から積極的に」あるいは「医師と共有して」意思決定を行いたいという強い希望を持っていることが報告されています 2)。
とくに日本の調査データでは、手術の経験がある方や、生物学的製剤などの新しい治療をしている方、大学病院に通院している方など、病状が進行していたり治療が複雑であったりする患者さんほど、SDMを強く求める傾向があることが示されています 1)。
また、日本と中国の双方の研究で共通して、既婚の患者さんは未婚の患者さんに比べてSDMを好む傾向がありました 1) 2)。これは、配偶者や家族のサポートが得られる環境にあることが、治療に対する積極性や意思決定への参加意欲を高めているためと考えられています 1) 2)

(画像はAIにて作成)
【課題その1】医師と患者では「治療への期待」が少し違うことも
患者さんの多くは「医師と一緒に治療を決めたい(SDM)」と考えています。しかし実際の診察室では、医師と患者さんの間で治療に対する認識や期待にギャップ(ズレ)があることが、日本の医師155名・患者さん400名を対象とした調査で明らかになっています3)。
1.「薬が効くまでの時間」への期待のズレ
新しい薬を使用する際、患者さんの約60%が「1週間以内に効果が出てほしい」と期待していました 3)。しかし、同じように「1週間以内で効く」と予想している医師はわずか約12%にとどまっています 3)。患者さんの「早く症状から解放されて楽になりたい」という切実な思いと、医師の現実的な医学的見通しの間には、極めて大きなギャップが存在しています 3)。
2.「薬の選び方」と「投与方法」対する考え方の違い
薬を選ぶ際には、医師・患者さんともに「効果」と「安全性」を最も重視する点では一致しています3)。しかし医師は、それに加えて「これまで自分が処方した経験がある薬かどうか」を重視する傾向があります3)。また投与方法については、1日1回の飲み薬が医師・患者さん双方に最も支持されていました。一方で、点滴や皮下注射については、医師は「通院回数が少なくて済む」「投与間隔が長い」などの利便性を高く評価する傾向があります。しかし患者さんの中には、注射への不安や通院・自己注射への負担を感じる方も少なくありません3)。

(画像はAIにて作成)
このように、同じ治療を見ていても、医師と患者さんでは重視するポイントや感じ方が異なることがあります。だからこそ、お互いの考えを十分に共有しながら治療を選ぶSDMが重要なのです。
【課題その2】理想と現実の「役割」のズレと「意思決定のジレンマ」
もう一つの大きな課題は、患者さんが「医師と一緒に決定したい」と頭では望んでいても、実際の診察室では受動的な役割にとどまってしまうケースが少なくないことです。
中国の研究では、期待する意思決定の役割と、実際の役割との一致率は約7割にとどまりました 2)。この「理想と現実のズレ」の背景には、医療や治療について理解し、情報を活用する力(ヘルスリテラシー)の不足が大きく影響していると考えられています 2)。
ヘルスリテラシーが高い患者さんはSDMを積極的に行える傾向がありますが、リテラシーが低いと自身の希望をうまく医師に伝えられず、結果的に受動的になりがちです 2)。また、収入などの経済状況も影響しており、低所得者層ほど治療費の不安などから受動的な意思決定になりやすいことも分かっています 2)。 さらに、複雑な治療選択肢を前にして迷い、情報を処理しきれなくなることから、最終的にすべての判断を医師に委ねてしまう患者さんも存在すると言われています 2)。
つまり、「医師と一緒に治療を決めたい」という気持ちはあっても、情報不足や心理的な負担から十分に話し合えず、結果としてSDMが実践できないケースも少なくありません。

(画像はAIにて作成)
より良いSDMを実現するための今後の展望
こうした課題を乗り越え、より充実した納得のいくSDMを実現するためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。
1:選択肢を絞った提案
無数にある治療の選択肢をすべて並べられても、患者さんが混乱してしまうことも多いです 3)。そこで、医師が専門家としての知見をもとに、患者さんの症状やライフスタイル(仕事や通院頻度の希望など)に合った選択肢を「あらかじめいくつか絞り込んだ上で提案する」というアプローチが有効と考えられています 3)。日本の実際の臨床現場でも、調査に回答した半数以上(約55%)の医師がすでにこの方法を実践しており、効率的で現実的なSDMの形として普及していくと考えられます 3)。そのため、患者側から主治医に対して「自分に合いそうな選択肢を2〜3個教えてください」「それぞれのメリット・デメリットを教えてください」と伝えることも、限られた診察時間を有効に活用する上で有効な選択肢になるかもしれません。
2:ヘルスリテラシーの向上とサポート体制の充実
患者さんが自信を持って治療を選べるようにするためには、分かりやすい言葉で書かれた治療法を比較できる資料やチェックシート(意思決定支援ツール)の提供が不可欠です 2)。ヘルスリテラシーに応じた支援を行うことで、患者さんは自らの希望を整理しやすくなります 2)。
3:家族を巻き込んだ意思決定の推進
既婚の患者さんは治療決定に積極的になるという結果が日中両国で示されていることから、パートナーや家族と一緒に使える支援ツールを提供し、家族ぐるみで治療に向き合える環境を整えることも、質の高いSDMの実現に寄与すると考えられています 1) 2)。

(画像はAIにて作成)
患者さんと医療者の双方が歩み寄り、対話しやすい環境を整えることが、これからのIBD診療ではますます重要になると考えられています。
まとめ:支援を味方に、自分らしいキャリアへ
IBD治療におけるSDMは「正しい治療」を選ぶためだけではありません。「旅行に行きたい」「子育てを頑張りたい」「仕事を続けたい」「再燃をできるだけ防ぎたい」そんな一人ひとりの希望を医師と共有しながら治療を考えるための方法です。正解は一つではありません。あなたにとって納得できる治療を選ぶためにも、自分が大切にしたいことを診察で少しずつ伝えてみてください。
💡次の診察前に、少しだけ考えてみませんか?
・今、一番困っている症状は何ですか?
・治療で一番大切にしたいことは何ですか?(効果・安全性・通院頻度・費用など)
・主治医に聞いておきたいことはありますか?
執筆者

宮﨑 拓郎
米国登録栄養士|公衆衛士学修士
Academy of Nutrition and Dietetics (米国栄養士会)所属 Registered Dietitian (登録栄養士)。ミシガン大学日本研究センター連携研究員。アメリカミシガン大学公衆衛生学修士(栄養科学)修了。大学病院等での勤務を経て米国登録栄養士取得。同大学病院消化器内科で臨床試験コーディネーターとして低FODMAP食の研究等に従事。帰国後コロンビア大学監修クリニックなどで保険適応外栄養プログラム立ち上げ、食事指導などに従事。講談社より「潰瘍性大腸炎・クローン病の今すぐ使える安心レシピ 科学的根拠にもとづく、症状に応じた食事と栄養」などを共著にて出版。ニュートリションケアなど管理栄養士向けの執筆多数。
参考文献:
1.Morishige R, Nakajima H, Yoshizawa K, et al. Preferences Regarding Shared Decision-Making in Japanese Inflammatory Bowel Disease Patients. Adv Ther, 2016; 33: 2242–2256.
2.Wang Y, Zhang S, Fang W, et al. Factors Influencing Decision-Making Preferences Among Patients with Inflammatory Bowel Disease: A Cross-Sectional Study in China. Patient Preference and Adherence, 2025:19 1047–1057.
3.Hirai F, Matsumoto T, Imai K, et al. Questionnaire Survey of Japanese Patients With Inflammatory Bowel Disease and Physicians on Shared Decision-Making in Advanced Therapy: A Web-Based PAIR Survey. Crohn's & Colitis 360, 2025, 7, otaf014.
